社会人を経験してから大学院に入る (2) 最適な進学のタイミング
教員をしていると、就職する学生から、将来、働きながら大学院に通いますと言われることがある。学生のこうした言葉には、 学生生活への未練か、学業を途中でやめることへの後ろめたさか、あるいは経済的な理由や就職のために進学を断念するという気持ちが表れている…のかもしれない。 私自身が社会人を経験してから大学院に入ったので、そういった心意気に水を指すつもりは全くない ものの、進学のタイミングが30代、40代…と先になることによって、20代では 気づいていなかった問題が生じるのではないか…と思うことがある。 そのひとつが年齢だ。 例えば、研究者の能力にも年齢的なピークがあるとされている。 酒井邦嘉先生の『科学者という仕事』では、一般的な経験則としつつも、数学や理論系の研究能力のピークは20代、実験系は30代だとされている。 ただ、これはあくまでも研究者としてのピークであるし、研究分野や環境によって研究能力が開花するタイミングや最適な年齢が異なるということもしっかりと申し添えられている。 私のような教育に近い分野だと、修士課程や博士課程で、高校や大学で 現役の 先生をしているという人に多く出会う。 研究室に入ってきた新入生が30歳を越えていることも珍しくないし、すでにどこかの大学の「教授」をしているという話もよく聞く。 こうした人たちは教育現場を経験するからこそ、指導方法や学習方法について専門的な知識を身につけたいと考えるのかもしれない。 実際に、教員は大学院で研究したことを自分の授業に還元できる。大学教員であれば、大学の方から学生を指導するために「博士号」の取得を求められる場合もある。働きながら通学するということについても一般の企業よりも職場の理解が得やすいかもしれない。 ただ、そうは言っても、理系ほどの極端なピークではないものの、人文系でも年齢によっては不利を被ることがある。 新しいことを学ぶ時だ。 私は30歳を越えてから修士課程に入学したから、現役の人たちと認知言語学や音韻論などの授業を一緒に受けて、期末試験を受けた時に、自分の記憶力が落ちていることをつくづく思い知らされた。10代や20代前半の時だと、新しい用語や単語は何回か見ればすぐに覚えられたし、時間が経ってもしばらくの間は記憶を保持することができた。それが、年齢を重ねると、新しいことはなかなか覚えられないし、昔覚えて...