社会人を経験してから大学院に入る (6) 研究テーマとドウキ

大学院で何を研究するのか、あまり悩まないでぐんぐん突き進める人もいるけど、私は無駄なくらいウジウジ悩むタイプだ。

「石橋を叩いて渡る」という言葉があるけれど、私は石橋を叩き割って渡れない。


大学生の時も、社会人でせっかく修士課程に入ってからも結構悩んだ。

修論を書き上げて研究テーマを見つけた!と思ったのは一瞬で、博士課程に入ってからも悩みまくった。

大学で教員というポジションを得た今も、前よりはマシとはいうものの、まだずっと何かを探してる。悩んでる。


修士課程の時にオムニバス形式(毎回、授業テーマごとに担当教員が変わる)の授業を受けた。

各回で、様々な分野の先駆的な先生が自身の研究内容を紹介するという授業だった。

その授業では、毎回、レポートの提出が課題として課せられていた。

授業シラバス(計画)では、教員は提出されたレポートを必ず読んでコメントを返すことになっていた。

私はレポートの最後に「なんでその研究テーマを続けているのですか」とそれぞれ担当教員に向けて尋ねてみた。


10人くらいの担当教員がいて、その質問部分についてはスルーされたり、

レポートに書くことではない!とお怒りコメントが返ってくることもあったりしたが、

ある先生から「好きだから続けているだけであって、なぜなどと考えたことはない」というようなコメントをいただいた。


100人くらいが受講している授業で、私のくだらないレポートと質問に丁寧なコメントをくださるくらいだから本当にとても良い先生だ。

担当教員の研究を紹介するその授業では介護を支援するような装置やロボットの開発が紹介されていた。

とても社会貢献が高い研究をされていた。


どんな研究でも、仕事でも、社会に役立たないものはないとはいうものの、

自分のやっていることは社会に役立つのかな?という疑問がいつも頭をかすめていたので、

私は「やっぱりこういう人じゃないとりっぱな研究はできないのかなあ…」「すごいなあ…」と思ったりもした。



数年後、博士課程に入って、私も海外の国際学会で研究を少しずつ発表できるようになった。

海外の学会では、たくさん引用されている有名な論文の研究者と直接話をしたり、

チャンスがあれば、一緒に食事をしたりすることもできるようになった。


その時、機会があって、私の分野で有名で、私も尊敬する研究者の1人の先生にその話をしてみた。

その先生も社会貢献度が高く、素晴らしい研究をされていた。

その時点も私は悩んでいたので、その先生が何を考えているのか知りたかったのかもしれない。


そしたら私の話を聞いてその先生は「好きだから続けてるだけ??」そんなふうに考えたことないというリアクションだった。


研究のドウキは人それぞれなんだな…と思った。

研究のテーマはその人の人生、人との出会い、性格、得意なこと、いろんなことが複合的に絡み合って生成される。

…あまり悩まず自分のできることを自分らしく行こうと思うこのごろです…。

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